不自由をコントロールしてこそ真の自由人

自由について価値観の整理整頓

定期的にこういったコラム的な文章を書くのは、僕自身の価値観の整理整頓のためです。

日々、多種多様な生き方の人に出会い価値観がアップデートされる上に、僕ら自営業は誰からの指示もルールも与えてもらえないからこそ、

自分の価値観がフラフラしていては指針を失うわけで、自分の軸を見直す時間として、文章を書くという行為はうってつけです。

自由とはなんぞや

僕は自由という言葉に恋い焦がれ、トムソーヤに憧れ、追い求め、今に至るわけですし、まだまだ追い求めています。

https://tabi.work/2018/07/31/kigyou/

この記事にも書いたのですが、僕の自由の定義は”身軽でいること”

それは文字通り「荷物が少ない状態」「自分に紐付いてる鎖が最小限の状態」であり、地球のどこにでもすぐ遊びに行けちゃうような経済力かつ時間の自由、

すなわち仕事の采配を自分で全て管理できる(急に休んだり最悪すぐに辞めたとしても誰にも迷惑をかけない)状態のことを指しています。

究極に自由な状態は幸福か?

極論、例えば明日から一生お金に困らない無限に何でも買えるクレジットカードあげるよ、家も用意しとくから好きなところに住んで良いんだよ、なんて言われた日には、それは果たして自由なのか不自由なのか。

幸せを見つけ出すのは至難の技のように思う。不自由な中にこそ自由を見つけれる、何か縛りやルールがあるからこそゲームはより面白くなる。

ここから、とっちらかした文章を一気に収束、整理してみる。

結論

何でも自由にやっていいよという状況は自由ではない。不自由から解放される瞬間にこそ自由を感じるという矛盾。つまり自由と不自由は1セット。

適度に自分で不自由な時間を作っておくことで、後の自由時間を謳歌することができる。仕事終わりに飲むビールは美味くても、毎日だらだらビールを飲んでも美味しいという感動は薄れてくる。


会社員の時は、平日出勤という不自由を会社から与えてもらい、土日休みという自由も与えてもらえた。

僕ら自営業の場合は、不自由も自由も自分でコントロールするしかありません。自分の好きなようにカスタムできるというのはメリットではあますが、慣れないとかなりの難問です。

僕は去年の冬何もやることがないからって旅行しすぎて遊びすぎて「なんだか別に楽しくないなぁ」という感覚を味わいました。生活に張りがなかったのです。

それをヒントに今年の冬は適度に自分に課題(不自由)を与えながら、最大限の幸福を得られる時間(自由)を創っていこうと思います。

結論の結論

【不自由な時間をコントロールしてこそ、真に幸せな自由が手に入る。】

身軽でいながらも、毎月宿題は必要。
真の自由人を目指す道はまだまだ険しい。

今日の頭の整理整頓はこれにて終了です。
お付き合い頂きありがとうございました。