佐久島が「アートで島おこし」【「アートの島」となった経緯】

佐久島の代表的なアート、おひるねハウス

愛知県西尾市に属し、三河湾に浮かぶ島、佐久島。この島はアートを使った島おこしに成功し「アートの島」と呼ばれるようになりました。

今でこそアートの島として有名になりましたが、実は20年以上前はアートとは無縁の島でした。そのような島がなぜアートで島おこしをすることになったのでしょうか。

そこには「島の高齢化」という問題がありました。この記事では、佐久島がアートで島おこしをするようになった経緯について紹介します!

目次

もともとは海運で栄えていた島が、人口が1/4以下に
国土庁の視察をきっかけにアートで島おこしをするように
島おこしは現在も継続中。ボランティアとして関わることも可能

もともとは海運で栄えていた島が、人口が1/4以下に

かつては海運で栄えていた島で、温暖な気候と豊富な海の資源があり、人口1,600人ほどもいた佐久島。現在の人口が250人ほどしかいないと考えると、今とは生活も全く違っていたことが想像できます。

しかし国が高度成長期に入り、島に働き場所が少ないのと生活の不便さから島を出る人が相次ぐように。若者が島の外へ出てしまい、島の高齢化が進み、主要産業である漁業の後継者不足に陥ってしまいます。

1995年には人口がピーク時の1/4である400人ほどしかいなくなり、島の存続が危ぶまれるようになりました。

国土庁の視察をきっかけにアートで島おこしをするように

佐久島の代表的なアート、ホワイトハウス

そこで佐久島に転機が。国土庁(現在の国土交通省)が離島の島おこしのための視察として佐久島を訪れ、島の景観や自然を貴重な国の財産として残すべきと提唱されました。

そして島おこしのための委員会が設置され、「島の資源を生かしてアートフェスティバルなどの芸術活動を行い島おこしのきっかけとする」という取り組みがスタートすることになったのです。

この構想を元に「島を美しくつくる会」(以下つくる会)が結成され、また一色町と(有)オフィス・マッチング・モウルが業務提携し、佐久島の魅力を発信するアート事業を行うようになりました。

そして年に1つずつ常設のアート作品を増やしていき、アート作品を巡るスタンプラリーを設置。またアーティストを島に呼んで展覧会やワークショップを開催したりして、観光客とアートが触れ合える接点を増やす活動をしてきました。

その結果、年間10万人を超える観光客が訪れるようになり、現在では定住希望の相談も年間で30件ほども入るように。このようにアートでの島おこしが功を成したのです。

島おこしは現在も継続中。ボランティアとして関わることも可能

この記事では、佐久島がアートで島おこしをするようになった経緯について紹介しました。

近年こそ「アートの島」として観光客が増えるようになりましたが、より佐久島を盛り上げるべく現在でも活動は続いています。佐久島の黒壁集落を維持するためのボランティアなども毎年募集しているようなので、島おこしに興味のある方はぜひ応募してみては。

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